地球の片隅で

ドイツを中心とした日常生活を書き綴っていきたいと思います。

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 ベルリンの風景。世界遺産にも登録されている「博物館島」。その中に存在しているボーデ美術館である。長い間閉館していたのだが、2006年に公開された。しかしながら、行ったことがなかったので、中に入ってみる。


 中に一歩足を踏み入れると、ものすごい豪華さである。高い天井から太陽の光がこぼれ、中央には皇帝フリードリッヒの騎馬像が出迎える。
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 ドイツ国内でも、最大級のコレクションを誇るという。
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 博物館島の近くにあるおなじみ大聖堂。ベルリン滞在中、何度も訪れた場所。画面に入りきれないほど非常に大きい。
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 そして、大聖堂からブランデンブルグ門までのびる道が、これまた日常的に歩いたウンターデンリンデン。途中にあるフンボルト大学。像はもちろんフンボルト。
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 そして最後は、アレキサンダープラッツにあるニコライ教会。ベルリン最古の教会である。森鴎外「舞い姫」の舞台である。
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 どれも忘れることのできない場所である。
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 今まで住んできたベルリンの街並み。ドイツ人(ベルリン市民)に言わせると、それほど美しくはないというが、私にとっては、この街はとても美しく、最高の場所になった。

 フリードリッヒ通りとフランス通りの交差点を曲がると、ベルリン一きれいなジャンダルメンマルクトが見えてくる。



 ここから見える風景も大好きだ。
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 寒い冬には、クリスマスマルクとが開かれたり、夏には、ビール片手に野外オペラやコンサートが開かれたりする場所でもある。
 最近は、春めいてきている。寒くて長い冬だっただけに、喜びもひとしおだ。
 復活祭(ドイツ語ではオースター)の飾りが街中で始まっている。オースターが来ると、春もすぐそことである。街中でも、一足早い花屋がお出まし。



 オースターと言えば、卵。殻に色とりどりの絵柄をつける。これはもともとヒナが卵から生まれることをイエスが墓から出て復活したことを結びつけたもの、および冬が終わり草木に再び生命が甦る喜びを表したものといわれている。
 ショーウィンドウにも、たくさんの卵が並ぶ。
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 それからもう一つ。ウサギもオースターには欠かせない。ウサギは多産なので生命の象徴であり、また跳ね回る様子が生命の躍動を表しているといわれる。写真は超巨大ウサギ。
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 今まではベルリン市民であった。
 本日、区役所へ行き、アプメルドゥング(市民の籍を抜くこと)の手続きをしてきた。待たされること30分。書類を提出し、サインをすると、スタンプを押され終了。手続きはものの3分。
 これで、ベルリン市民ではなくなった。日本での手続きもしていないため、今のところ地球上のどこの市にも属していない、中途半端な一個人である。
 翌日曜日は、隣町ハーナウへ行く。
 この町で忘れてはいけないのが、なんといってもグリム兄弟が生まれたということだ。ヘンゼルとグレーテル、赤ずきん、ブレーメンの音楽隊、白雪姫・・・・・あげたらきりがないほど世界中で読まれているグリム童話集を作った兄弟である。
 
 町の中央には、大きなプラッツ(広場)があり、そこにはグリム兄弟の像がたっている。立っているのが、兄のヤーコブ。座っているのが弟のヴィルヘルム。 



 それから、日本でも知られているのがドイツの街道の名前である。ロマンチック街道、アルペン街道、古城街道・・・これもいろいろとあるのだが、その中の一つ「メルヘン街道」の基点が、このハーナウなのである。
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 銅版の下のほうには、「ドイツのメルヘン街道 ハーナウ~ブレーメン」と刻まれている。

 それから、この町で有名なもの一つ「フィリップスルーエ城」がある。
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 とにかくドイツは城が多い。城の内部は、どこも想像を超える豪華さである。この城も、ほかの城と同様に豪華な内部であった。

(続き)

 いろいろとハプニングがあったものの、それでも奇跡的に、フランクフルトに到着することができた。フランクフルトは2年ぶり。
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 午後にはお目当てのサッカーを観にいく。フランクフルトのホームゲームである。スタジアムは、コメルツバンク・アリーナだ。私自身も口座を持っている「コメルツ銀行」の名前がついたスタジアムである。日本では、銀行の名前がついたサッカー場はあっただろうか。
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 このサッカースタジアム、スタジアムの天井中央から大きな画面がぶらさがっているのが特徴である。
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 この日の試合は、地元フランクフルト アイントラハト対ボーフム。フランクフルトには、稲本。対するボーフムには小野。ブンデスリーガにおける日本人対決の一戦であった。
 写真は稲本。ディフェンスでなかなかいい動きをしていた。
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 対する小野。彼に対する評価はすこぶるいい。ドイツ人の中では「オノはいいね」という声をよく耳にする。練習時から、ものすごい勢いでアップする小野。
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 さて、試合のほうは、1対1の引き分け。小野も稲本も、いいパフォーマンスを見せてくれた。
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 3月8日,フランクフルトへ出かけた。どうしても,ブンデスリーガを見たいため,数ヶ月前から準備していた旅行だ。
 
 前日は,知り合いから夕食の招待を受けており,帰宅は0時をまわっていた。帰宅したあと,フランクフルト行きの電車の時刻を確認してあせった。なんと朝の5時台の電車である。しかも,中央駅までのバスはストで走っていない。(タクシーを予約しなければいけない)
 加えて,泊まり先のホテルもまだ予約していない。前々から計画だけはしていたフランクフルトだが,我ながら,まったくもっていい加減な準備である。
 ストのため,タクシーも出払っており,予約するのに何件かの会社に電話をかけた。ホテルについては,インターネットでOK。
 しかしながら,すでに夜中の2時を回っていた。

 起きたのが朝もまだ明けない4時。2時間しか寝ていない。
 タクシーに乗って中央駅へ。

 開いたばかりのパン屋で,パンとコーヒーを胃袋へ収め,電車へ乗る。2時間しか寝ていない状態だったため,座席へ座るとすぐに寝てしまう。しかし,これが悲劇の前触れであった。

 かなりの熟睡だったらしい。途中,電車が止まった(駅に着いた)ことを,ぼんやりとした頭で感じ取っていた。
 (よく寝たな・・・・いったいここは どこの駅なんだ?)そう思いながら,片目を開けて窓の外を見る。「LEIPZIG・・・ライプチヒか・・・・ということは2時間近く寝てたんだな・・・・・」そう思いながら,眠りを続けようとする。
 しかし・・・・
「ん!?ラ ラ ライプチヒ!? 乗り換えだ!」
なんとそこは,乗り換えなければいけない駅だったのだ。電車は止まってからしばらく時間が経過している。ドアが閉まれば,次の駅まで乗っているしかない。目的地フランクフルト駅へは行けなくなってしまう。
「おい!起きろ!乗り換えだ!」
慌てて,向かいでこれまた熟睡している妻をたたき起こす。コートも着ずに,荷物を抱え,一目散に出口へ。運良く,電車はまだ動き出していない。

「乗り換えは,何番ホームだ!?」意識もはっきりしないながら,あわてて乗り込む電車を探す。
本来ならば,予約している号車を探して乗るのだが,そんなことをしている暇はない。
とにかく開いているドアから飛び乗った。ぎりぎりセーフ。

 結局,予定通りの電車に乗り継ぐことができたが,冷や汗ものであった。もしあの時,うっすらとでも目を開けていなかったら・・・・そう考えるとぞっとする。
 そんなこんなで,フランクフルトへ出かけたのであった。(続く)

 2月のある日,思いがけない人が家に来た。名前をアドレアン。ポーランド国籍の若者だ。
 思えば2年前,語学学校に通っていたときのことだった。当時,まだ17才だったアドレアンだったが,妙に慕ってくれたのだった。
 ときどき家に遊びに来たり,一緒にブンデスリーガの応援に行ったりしたものだった。

 そのアドレアンが,翌年イギリスへ引っ越したのだった。
 ポーランドは,ヨーロッパの中では,大多数は所得が低くドイツやイギリスなどの国へいわば出稼ぎに来る人たちが多い。アドレアン一家もそんな境遇でドイツへ来ていたのだった。

 そんなアドレアンが,久しぶりにベルリンへ遊びに来るというメールが届いた。遊びに行っていいかいう問いかけには,もちろんOKである。

 約束の時刻に彼はやってきた。当時よりも,かなり大人びていた。それでも,いったん握手を交わすと,当時の面影さながらの人懐っこい笑顔を見せてくれる。
 なんと驚いたことに,かなりの英語を話せるようになっていた。(イギリスで生活しているのだから当たり前か)
 2年前は,お互いたどたどしいドイツ語でのやりとりだった。ドイツ語というよりは,身振り手振りのジェスチャーが多かったような気がする。

 一緒にレストランで食事をしながら,2年ぶりの会話に花が咲いた。アドレアンは,イギリスで仕事を見つけて,かなり羽振りがいいらしく,最新のデジカメやらゲーム機器やらを持ってきて見せてくれた。今度は,日本で会おうとお互いに約束を交わした。

 
 アンドレさんが,得意げにDVDを見せてくれた。
「これなんだか知ってるかい。マンマミーアだ。これは最高だよ」
 
 そのミュージカル「マンマミーア」に行くことにした。昨年からロングランでやっていて,知ってはいたのだが・・・。
 会場は,ポツダマープラッツの一角にある「ポツダマーシアター」。
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中は,結構新しく,きれいである。1ヶ月前は,ベルリン映画祭の会場だったところだ。

 ミュージカルの舞台はギリシャのある田舎町。笑いあり涙ありのミュージカルであった。ABBAの歌がとてもよかった。(もちろん英語ではなく,ドイツ語で歌われるわけであるが)
 これほど面白いものだとは思わなかった。アンドレさんが持っていたDVDを,私も手に入れよう。
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明治を代表する小説家であり,当時の知識人「森鴎外」。鴎外は,大学卒業後、陸軍軍医になり、官費留学生としてドイツで4年過ごした。そのときの下宿だった場所が,今は記念館としてたくさんの日本人が訪れている。
 2月のある日,仕事で記念館を訪れ,館長さんと話をする機会があった。
 写真は,鴎外記念館の建物。一昨年だったか「鴎外」と漢字で書かれた壁が話題になった。行ってみると,ひときわ目を引く。
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 鴎外のドイツ入りは,はじめはミュンヘンだったという。そこで1年を過ごした後,ベルリンへ来たのだ。
 当時,日本では明治を代表する人物として,さまざまなものから縛られていた鴎外も,ここベルリンでは「自由」を楽しんでいたそうだ。
 きっと,ビールを飲みながら,ウンターデンリンデンあたりを毎夜闊歩してしたのだろうか。何を考え,何を目指していたのか,その辺のところをさらに調べて見たいと思う。
 写真は,ベルリン滞在のときの鴎外。
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 余談だが,「マンホール」には,鴎外が大きく関係していることを館長さんが話してくれた。鴎外は,ここベルリンで「マンホール」を見て,感動したという。これぞ,病気を減らす最も大切なものであると。
 そこで,帰国した折に,政府に「マンホール」を当時の東京に作ることを申し出たそうだ。
 今は当たり前のように思っている「マンホール」が鴎外とこんな形でつながっているとは驚いた
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